世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

不幸を背負い込むバンドマン

バンドマンシリーズ11回目。このシリーズで書きたいのは当時バンドマンだった僕の悲壮感だったりするんですが、バンドマン彼女もサブテーマだったりします。

 

バンドマンの彼女は常識あって優しい人が多いというのは僕の勝手な持論ですが「昔バンドマンと付き合って焦げたわ〜」というそこのあなた、あなたはきっと大丈夫な人ですよ。ということで、終わった恋の処方箋バンドマンシリーズをどうぞ!

 

1回目

 

2回目

 

3回目

 

4回目

 

5回目

 

6回目

 

7回目

 

8回目

 

9回目

  

10回目

 

 

ツアー後半初日、宇都宮KENTでは前回のライブが好評だったようで30名近い予約が入っていた。しかも、そのうちの9割が女子高生というから驚いた。ライブ後、僕たちが物販へ出るため楽屋のドアを開けたところ女子高生が左右の壁に並んでズラリと待機。

 

キャーという黄色い声といい匂いに包まれかと思いきやその大半はたまじさんとマッカスの前に群がった。僕の前に現れたのは大人しげな男子高校生で「弟子にしてください」とポツリ。僕はどうせなら女子高生に囲まれたかった気持ちも手伝って「よし、まずは立派な師匠を見つける目を鍛えるところからスタートだ」とボカして逃げた。

 

出待ちに気分を良くしたエウヴィスは先日3万円で買ったと自慢していたネックレスを外し女子高生の首にかけてそのままプレゼント。僕は女子高生のキラキラとした視線をうけるエウヴィスの背中に「可哀想」と書いたレッテルを勝手に貼った。

 

一方、たまじさんのファン対応は慣れたもので付かず離れずの距離感で上手く接していたが、マッカスは女子高生だろうが相手構わず下ネタを連発して僕を不安にさせた。

 

以降は水戸・仙台×2・盛岡・弘前・青森とライブは5連続。盛岡クラブチェンジの楽屋ではツアー前半に栄養カスカスの体で食べた塩パスタの美味さが忘れられず、持参した電気ポットで麺を茹で塩をかけて塩パスタを作った。しかし休み明けの満ち足りた体では味気ないの一言。毎日食事を作ってくれた裕子のことを思い出した。

 

弘前マグネットではMr.Children風のメジャーバンドと対バンだったがその客がこぞって僕らの物販に並んでいたため、メジャーバンドは偉く不機嫌な様子。次の日の青森クォーターは彼らのおかげで動員が安定した。

 

僕がクォーターの駐車場で寝転んで本を読んでいると「あ、チャッピーさんだ!」と声をかけられ振り向く。するとそこには口に手をあて恥ずかしがっている女子高生2人組の姿。だが手にしていたのはその素朴さとは不釣り合いな缶チューハイだった。

 

女子高生にアルコールは似合わないこと、色眼鏡で見ている僕らは東京でアルバイトをしているフリーターであること。この2つの誤りについて教師さながらの説教を垂らしたかったが、そんな勇気は持ち合わせておらず。「ありがと〜」と明るい声で答え手を振りながら楽屋へ引っ込んだ。

 

青森市から津軽海峡フェリーの最終便で函館へ向かう。船内は疲れ切ったトラックの運転手たちが大の字になって広間で寝ていた。到着時刻は午前2時半にも関わらず空はうっすらと明るく、函館から札幌に向かう300kmの道中は朝焼けとともにこの世のものとは思えないほど幻想的で壮大な景色が広がった。

 

札幌では友人宅にメンバー全員で1週間滞在。市内4箇所でライブを行い北海道を後にした。秋田クラブスウィンドル、酒田ミュージックファクトリーを終えて新潟へ。その後は長野市・松本市と続き山梨・群馬へ。そこからさらに静岡・愛知・大阪で10本ほどライブ。全員が気だるい体を引きずりながら深夜の高速をひた走る日々が続いた。

 

「そろそろ運転代わろうか」以外にメンバー間で言葉が交わされることはなく、僕は後部座席にもたれ天井一面に張り付いたライブハウスのバックパスを眺めながら運転の順番が回ってくるのを待った。

 

清水JAMJAMJAMで69本目のライブを終えて1ヶ月半ぶりに東京へ戻ったのは午前1時。5時間後の朝6時からは次に発売するCDのPV撮影がはじまる。そしてその後はツアーファイナルのワンマンライブが新宿で控えていた。

 

体調が最悪な上に完全な睡眠不足。この状態で2時間のライブをやりきることが出来るのか不安だった。早めにリハーサルを終えてしばしの休憩。楽屋のソファで仮眠をとり、目覚めた頃には客入りがはじまってあっという間に開演時間がやってきた。

 

SEが止んでステージに上がるとフロアはたくさんの客で溢れ返っていた。意外だったのは前列を陣取っていたのがいつもの顔ぶれに加え今回のツアー先で出会った地方の人たちだったこと。ステージから見て斜め左45度の方向には裕子が笑顔でこちらを見ていた。

 

そして何より驚いたのは僕にバンドをはじめるきっかけを与えてくれた山岡さんが腕を組んで壁に寄りかかっていたことだ。

 

4つカウントを入れて何百回も繰り返してきたいつもの曲がはじまる。僕はライブではミスをしないよう冷静に演奏してきたがこの日はきっと感情が高ぶっていたのだろう。

 

ドラムの位置から見えるのは演奏しているメンバーの息遣いや音響スタッフ、我先にと踊り狂う人、手を叩いて笑顔で見ている人、ステージから視線を外さずに黙って見ている人、泣いている人。僕の目にはフロアにいる全員の表情や仕草がスローモーション映像のようにゆっくりと流れていた。

 

演奏がはじまると疲労感は抜け、いつもよりリラックスできて気分が良い。しばらくすると鼻の奥がツーンと痛み、感情と切り離された意図しない涙が溢れて止まらなくなった。滝のように流れる汗に涙は隠れ、僕はそのまま気持ち良く演奏を続けた。

 

ふわふわと浮いているような感覚に陥りながら視界に入ったお客さんにはスネアを叩くと同時に心の中でありがとうを唱えて回った。最後の曲はエンディングへ。両手を振り上げて少し止め、深呼吸と同時に左右のクラッシュシンバルへ振り下ろして終演。

 

ライブ後の癖ですぐに物販席へ向かったが手売りした2ndCDやTシャツ、DVDはファイナルを待たずにソールドアウトしていた。売るものがないため、来てくれたお客さんを物販席から一人ひとり丁寧に見送り僕らの全国70箇所ツアーは幕を閉じた。

 

ライブハウスとの精算を終えて今回の全国70箇所ツアーの売り上げを計算してみると物販、チケットバックと合わせて約200万円。そこから交通費や滞在費、制作費の支払いを差っ引き手元に残せたのはたったの50万円だった。

 

打ち上げには山岡さんや裕子などの身内も参加した。「たまじ、佐藤くん。良いバンドになったな〜!」と興奮した山岡さんは僕とたまじさんの横を離れなかった。山岡さんはバンド脱退直後に僕と同じバイト先を辞めていたので会うのは実に3年ぶりだ。

 

彼は僕らのバンドを脱退後、紆余曲折の末、今は1000人近い客を集める人気バンドのベーシストとして活躍しているとのことだった。

 

一通り山岡さんとの話が落ち着くと彼はビールジョッキをテーブルに置き「来月、俺も川崎クラブチッタでワンマンやるで。たまじと見に来たらいいわ」と財布からチケット2枚を取り出し真剣な眼差しで僕に迫った。

 

おそらく何かしらのテレビドラマを意識したであろうセリフ。そして「ゲストで名前書いておいたから」の一言で済む話に対してわざわざチケット手渡しの演出を加えるあたり、有名になってもこの人の性根は変わらないのだと安心した。

 

あいにくその日は僕らも地方でライブが入っていたため行けそうになかったが、その場で断ると角が立つので「わかりました」と僕もトレンディー俳優さながらの口調で答え、固い握手を交わすところまでサービスした。

 

打ち上げ会場を出て新宿から中央線で高円寺へ。裕子と二人でパル商店街をふらふらと歩いて家路についた。しかし、大人4人が3ヶ月かけずり回ってたったの50万しか稼げなかった現実をうけ、僕の足取りは沼にハマったかのように重かった。

 

「またずいぶんと不幸を背負い込んだ顔をしているそこのバンドマン、一体何がそんなに不満なんだね。相談してみなさい!」と裕子がふざけて言う。僕は「すげえ顔だなそれ。逆に相談があればどうぞ」と適当に投げ返す。裕子は少し考えた後、やけに明るい口調で話し始めた。

 

「じゃあ一つ相談。同僚がバンドマンと付き合ってまして。でもその子、年も年だしそろそろ結婚考えてるらしいんですよ。私も働けば良いって、健気でいい女でしょう。そこでバンドマンに質問。バンドマンと結婚するのってどうなのでしょうか?」

 

「それは止めるべきだな〜。そもそもガチのバンドマンで幸せそうな奴なんて全国回って一人も見当たらないんだから。結婚はできるだろうけど一緒に居ても幸せになんてなれないよ」僕はこれまでに聞いたこともない裕子の同僚に向けて素直な意見を伝えた。

 

「そうですよね〜。バンドマンとの結婚は全国的にやめといた方がいいらしいよって伝えておきますね。ありがとうございました!」と裕子。天気予報みたいでわかりやすいアドバイスだと笑い合った。

 

いつのまにか出来ていた目に見えない薄い壁一枚を隔て、取り繕うようにふざけ合った僕らの会話は、笑い声の残響とともに途切れ、閑散としたアーケード商店街には靴のかかとを引きずって歩く乾いた音だけが鳴り響いていた。

 

翌日から僕は次のツアーに向けて準備をはじめた。まずは経済状態を回復させるため事前に検査を受けて予約していた1週間泊まり込みの新薬実験に参加。服薬と1日に数度の採血を受けるだけで15万円が手に入った。

 

ただ治験というクリーンな告知に集まった参加者は目つきの怪しい者ばかり。1週間後に現金を受け取り池袋駅へ向かうと、そこには封筒を握りしめてパチンコ屋に入っていく者や意気揚々と風俗街へ消えていく者たちの姿。

 

夢追い人という点では共通している僕も世間様からすればきっと同じように見えるのだろうと僕は雑居ビルのガラスに映った自分と目を合わせた。以降はいつものように日銭を稼いで2ヶ月後に控えた次のリリースとツアーに向けて夜な夜なスタジオに篭る。

 

ただ、練習を重ねるほど自分でもわかるくらいに僕の神経はすり減っていった。バンドリハではズレてることに気づかないまま演奏を続けるメンバーに激しく嫌悪しスティックを放り投げて帰宅。借金を抱えているにも関わらず、あれが楽しいこれが面白いと焦りすらないままのんべんだらりと過ごすメンバーとは喧嘩が絶えなかった。

 

家に帰れば気を遣って過ごす裕子にイラつき、モメそうになると部屋を出て寝静まるまで街を練り歩いた。すると裕子はさらに気を遣ってかしばしば実家へ戻るように。しかし、見返りのない犠牲の先払いを努力とすり替えた僕は、一つまた一つと物が減っていく部屋の景色を憂うことすら許さなかった。

 

⇩最終回はこちら〜

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