世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と神奈川と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

夢と言い訳とバンドマン

バンドマンシリーズ9回目。死ぬこと以外かすり傷。「それだけは絶対無いわ〜」と思っている僕ですが、そういえばそんなこともあったよね的なお話が今回です。

 

その昔はめちゃくちゃやったなという方、以下そんな大それた話ではありませんがお酒のつまみになれば幸いです。

 

1回目

 

2回目

 

3回目

 

4回目

 

5回目

 

6回目

 

7回目

 

8回目

 

 

飛んだレーベル、消えた売上、レコーディングなどこれからの予定を軌道修正するために僕らは練習を終えたあと、いつも利用している三軒茶屋のファミレスに集まった。

 

ここ数日で起きた出来事をマッカス、エウヴィスに伝えると「バンドを食い物にする大人ってホントにいるんだな〜」とマッカスはどこか他人事のようで、エウヴィスはビールを飲みながらただ頷いていた。

 

西原さんが飛んだ訳は考えてみれば至極単純。前職のコネを使った小遣い稼ぎだ。若さを持て余した頭の悪いバンドマンを見つけてCDを出させる。バンドにはプロモーションだと全国ツアーを回らせ、自分は知り合いのCD屋に電話を入れて売り場を確保。

 

バンドが動けばCDは売れる。仕上げは数ヶ月後にやってくる流通会社からの入金を待ってドロン。今回、西原さんは電話1本で見事30万円を手にした。

 

また同じレーベルに所属とされていたアーティストは全国で5組。みな僕らと同時期にCDをリリースしていたことから西原さんはここ数ヶ月、電話だけでおそらく100万円以上の大金を稼ぎ出したことになる。

 

とはいえCD屋界隈で西原さんの悪評が立つことはない。知恵のないバンドマンの多くはただただ泣き寝入りするしかなく、事の真相が世に出る可能性は極めて低いからだ。僕らも例によって「やられた」以外に言葉を見つけることができなかった。

 

ついた肘に小さな顔を乗せて「問題はこれからどうするかだよな〜」とたまじさんが独り言のように呟いたところで、僕は事前に考えていたアイデアを話した。

 

次回のレコーディングは借金をしてでも決行。音源はCDショップを介さず会場限定販売にすること、その代わりツアーの本数をこれまでの2倍にあたる3ヶ月70本に増やす。そして翌月には間髪入れず3rdのCDを出してさらに30本のツアー。年に2回のリリースと100本以上のライブを行うという計画だった。

 

「それはさすがに無理だろ」と僕以外の3人は笑った。それでも僕はこのスケジュールでいこうと押し返すとたまじさんは「お前だって生活あるだろう、それにこれ以上借金するのは危ないよ」と現実を語り、マッカスは「焦る気持ちはわかるけどさ、無理せず地道に続けることも大事なんじゃないか」と諭すように話した。

 

そこから何も決まることはなく、僕らは普段通りの生活を送ることになった。アルバイトで日銭を稼ぎ、週2回のバンド練習をこなして、呼ばれたライブに出演する。そんなある日、ロカビリー界隈で有名なバンドのライブに4人で顔を出す機会があった。

 

新宿にある小さなライブハウスは満員かつ熱気を帯びていて薄暗いドリンクカウンターには長蛇の列ができていた。付き合いで来ていた僕らはステージと客席を見渡せる後ろの壁側に陣取りライブがはじまるのを待った。

 

SEが止んで登場したバンドのメンバーはバイトで溜まった鬱憤を晴らすかのごとくギラついた衣装に身を包んでいて、自慢の高価なグレッチのギターはキンキンの高音で客の耳をつん裂いた。合わせようのないほどヨレたドラムと視線を合わせてクールに微笑むウッドベースの間には、彼らにしかわからないグルーヴがあったのかもしれない。

 

最前列には見覚えのあるバンドマンたちが「最高に盛り上がってます!」と言わんばかりに存在感をアピールし、媚びるようなダイブに無理やり連れてこられた客は思わず後ずさり。「もっと来いよ!」とバンドが叫ぶ度に、後ろの壁側には仕事帰りであろう小綺麗な格好をした人たちが押し寄せフロアの真ん中には大きな穴が開いた。

 

僕が望まなかったアンコールでは、太鼓を持ちバンドマンの拍手と声がパラパラとフロアに鳴り響く。僕たちの行く末は、ステージの先にある楽屋でアンコールを焦らす古株バンドなのかもしれない。そんな思いが浮かんでは消えてやるせない気持ちになった。

 

ライブが終わって会場を出ると「おい、チャッピー営業だ」たまじさんは打ち上げ会場に向かって歩きながら僕を呼ぶ。僕は「大丈夫、放っておいてもあと何年かしたら俺らもああなるわけだから、今焦って打ち上げに出る必要はないよ」と答えた。

 

「何が言いたいんだよ」とたまじさんは面倒くさそうに振り返る。「大して名前も知られてないバンド同士で褒め合うだけの飲み会で何の営業するのかね。俺はもうさすがにここから抜け出したいよ」と僕が返すとたまじさんは黙った。

 

「この間のリリースとツアーの話、やってみようよ。どうせ全員まともに生きられないフリーターなんだから、その先どうなったっていいじゃないか。いい加減ここから抜け出さないことには何もはじまらないよ」と僕は続けざまに言葉を投げかけた。

 

僕が立ち去ろうとすると、その場に居合わせたマッカスが笑いながら言った「あれだけ弱気だったチャッピーがそこまで言うならな…やってみよか!」と開き直り、それに続いてたまじさんも「わかった、お前に任せるわ…」と賛同。エウヴィスはいつものように黙って頷いた。

 

そして僕はその足でスタジオへ、たまじさんとマッカスは打ち上げには出ず曲を作ると帰路に着き、賛同したはずのエウヴィスはなぜか打ち上げ会場へと向かった。

 

ーーー

 

CDを2枚リリースして年間100本のライブを自分たちだけでこなすということは金銭以外にメンバーの負担も重くなる。たまじさんとマッカスには曲作りに専念して欲しかったためライブブッキングやグッズ製作、スケジュール管理は僕が一手に引き受けた。

 

まずは知り合いのイベンターやライブハウスに片っ端から電話してリリースとツアーの予定を説明し、タイミングの合うところでイベントを打って欲しいと交渉を重ねること数ヶ月。イベントの日取りが決まれば、ライブハウスのブッキングだ。

 

初回ツアー70箇所のうちイベントを組んでもらえたのは20箇所。残りの50箇所はドサ廻りのブッキングライブだ。今回は沖縄以外のすべての都道府県をまわるつもりだったため、イベントと移動時間を考慮して無駄な日ができないようにスケジュールを組んだ。

 

結果、東京から九州にまでは24日連続でライブ。その後12連・7連とライブをこなして一旦帰京。都内にて10日間でレコーディングを済ませて再び東北・北海道を3週間ほどかけて回り、関東近県は東京の自宅から向かうという3ヶ月の強行スケジュールだ。

 

物販はライブ本数から逆算して用意。CDは1st500枚、2nd500枚、最初のツアーで完売したTシャツは200枚作って、ワンマンライブを収録したDVDは200枚用意。ライブ1回毎の売上目標はチケットバックと合わせて30000円に設定した。

 

バンドのスケジュールを見越して僕個人のスケジュールも大きく変えた。朝6時から倉庫作業のバイトを入れて11時からはテレアポ、20時に仕事を終えて21時から24時まではドラムの練習。ライブの日以外はほぼ同じスケジュールをこなして貯金した。

 

先の見えない未来と借金の重圧は怒りだけを残して僕の感情を奪い、その矛先はメンバーや裕子といった身内に向けられた。レコーディングでミスを重ねるメンバーには「何度目だよ。練習しとけよ」と怒鳴り、「お〜い、大丈夫か〜」と心配する裕子の何気ない気遣いは「関係ないだろ」と跳ねのけた。

 

ふと我に返り「何であんなこと言ったんだろう」と後悔する時は、睡眠時間を減らし練習時間を増やすことで精算する。そんな毎日が続く中、メンバーは萎縮してバンド内では1対3の構図が出来上がり、裕子とは口論になることも増えた。

 

ある日、仕事を終えて家に返りライブに向かう準備をしていたところ「ただいまくらい言いなよ〜」と裕子が声をかけてきた。僕がすぐさま「ただいま」と伝えると裕子は「もう次のツアー終わったら一回休めば?そんなんじゃ続けられないでしょ」と返す。

 

「何も知らないくせに先がどうとかよく言えるな」と僕は独り言のように呟いた。それを聞いていた裕子は「バンドってそんな人相変えてまでやることなの?」とこちらを向いて真面目な顔で尋ねてきた。

 

僕が苛立ちを抑えつけるように「もう行かないと」とかわして荷物をまとめていると「こんな生活いつまでも続かないよ」と裕子の気弱な声が聞こえた。そして次の瞬間、抑えていた僕の怒りは「だったら実家に帰んなよ」という心とは裏腹の温度のない言葉となって彼女のどこかに刺さった。

 

ふと裕子に見ると、あっけらかんとした顔つきで左斜め上に視線をやっていたが、その口元はかすかに震えていた。僕は沈黙に耐えきれず水を飲むため冷蔵庫を空ける。そこには四角く大きな白い箱、サランラップが巻かれた皿には下ごしらえされた食材が敷き詰められていた。今日は僕の23回目の誕生日だったのだ。

 

ーーー

 

レコーディングは予算の関係でタイトな日程だったが順調に進み無事に音源は出来上がった。ツアーも約半年間に渡って調整を重ねた末、全国70箇所のライブが決定。地方のファンの人はBBSに喜びの声を書き込んでくれたが、知り合いのバンドマンからは「お前らバカだろ」という反応が大多数を占めた。

 

周囲のバンドマンの話には「そうなんですよ〜」とヘラついてみせたが僕は異端とバカにされるほど「これで正解だ」という確信を得ることができた。それは夢と言い訳に満ちたこのぬるい場所から離れることができるという証だからだ。

 

レコーディングや制作費、演奏機材の購入、車の修理、3ヶ月間のツアー中の生活費を工面したことで僕の借金は通算150万円を超えた。しかし、すべての準備を終えてツアーに出る頃には多額の借金すらびしょ濡れの靴で歩く程度にしか感じなくなっていた。

 

何か奇跡が起こるのか。このまま何事もなく帰ってきて借金とともにアルバイトをしながら利息を払ってその日暮らしを続けるのか。夢と言い訳で生きてきたしがないバンドマンの僕らは、これからの3ヶ月に未来を賭した。

 

次回はこちら⇩

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