世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と神奈川と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

終わりの始まり

バンドマンシリーズ8回目。もう2ヶ月くらいやってるこのシリーズもあと3〜4回くらいで終わりを迎える予定です。 ちゃんと落とせるのか俺!俺落とせるのか!という不安と戦っております。

 

過去の恥ずかしい思い出がフラッシュバックして声が出てしまうという方、以下のバンドマンシリーズをセラピー代わりにどうぞ。

 

 

1回目

 

2回目

 

3回目

 

4回目

 

5回目

 

6回目

 

7回目

 

 

九州を後にした僕らは関門海峡を渡って山陽自動車道をひた走り広島CAVE BEへ。ガテン系風のイケメンギタリストに恋をしたエウヴィス。自身のギターに「シンタロウ」とそのギタリストの名前をつけたことを告げるも「すみません、ガチなら気持ち悪いです」と派手な右ストレートに膝から崩れ落ちる。

 

ライブを終えて島根に向かう移動中の車内では「あいつその気もないくせにすごい褒めてきた」と女々しい口調でゲイの被害妄想炸裂。シンタロウが褒めたのはギターの演奏だったのだが、運転しながら「うんうん」と話を聞いてやっている自分に腹が立った。

 

山陰地方は出雲アポロ、米子ベリエと回る。米子に着いたのは深夜1時。付近で一軒だけ開いていたうどん屋でかけうどんを注文すると店主は僕らの風貌を見るなりニヤニヤ。「はい、訳ありうどんね。天かすはおまけだよ」と出してくれた店主の左目はつぶれていた。米子シャッター商店街の静寂、皆生温泉の廃墟とさびれた風俗街は僕の心を捉えて離さず、翌日のオフは僕の一存で米子滞在が決まった。

 

次の街はエウヴィスの故郷である福井だ。福井についてエウヴィスに聞いてみたところ「福井でサーフィンといったら俺か真木蔵人だったよ」と風呂敷を広げたが、携帯で調べてみると真木蔵人の出身地は東京都港区という記述を発見。

 

マッカス、たまじさんは大爆笑だったが、僕はこれ以上ないほどチープな嘘を餌に、他者からの承認という大物を釣り上げようとするエウヴィスの強欲さに恐れおののいた。

 

ハコの見た目から対バンまでハードコアづくしの福井CHOPでは、客こそ少なかったもののライブは好評で物販もたくさん売れた。しかし、故郷でのしょぼい凱旋ライブとなったエウヴィスは昨日とは打って変わって虚ろな目つきで心ここに在らず。先日のシンタロウを思い出してやさぐれているのかとメンバー全員で茶化してみたが見向きもしなかった。

 

ライブを終えて金沢に向かおうとカーナビに住所を入力していると、後部座席から「明日の昼、福井で寄りたいところがあるんだけどいい?」とエウヴィスの声。僕とたまじさん、マッカスは「?」と顔を見合わせたが、ライブハウスの入り時間である15時に間に合えば問題ないと申し出を快諾した。

 

エウヴィスの案内で寝床となる公園はすぐに見つかった。エウヴィスはずっと浮かない表情だったことからマッカスが気を利かせて「たまにはみんなで酒でも飲むか!」と切り出し、公園の街灯の下に集まってビールを飲みはじめた。話はツアー中に起きた面白おかしい話からやがてエウヴィスの過去に行き着いた。

 

しばらく沈黙を続けたエウヴィスだったが酒が入るにつれて少しずつ自分の過去を語り始めた。福井に戻るのは上京以来はじめてであること。幼い頃に両親が蒸発し、親戚をたらい回しにされながら虐待を受けて暮らしたこと。そしてこのツアーが決まった時、実兄から20年前に姿を消した父親の居場所を知らされたこと。

 

「どんな顔して会えば良いのかね…」と少し笑いながらふざけて語るエウヴィスの表情はこれまで見たこともないほど弱気で、この話が真実であろうことを物語っていた。

 

翌日向かったのはえちぜん鉄道の三国駅からほど近い小料理屋で昼時だったため何人かの客がいた。店はエウヴィスの父親らしき男性と奥さんであろう女性の二人で切り盛り。エウヴィスは父親をすぐに見つけるが、あちらは気づいてくれていないのが悲しかった。それぞれが定食を注文して父親の手が空くのを待つ。

 

そして定食を運んできた親父さんにエウヴィスは話かけた「父さん…」。すると親父さんは数秒止まり困惑したあと「ゆたか…?」と気づいた様子だった。そこからエウヴィスは言葉に詰まり何も話せなくなってしまう。

 

すると親父さんは「ちょっと待ってろ」と言い奥の座敷にエウヴィスを通してくれた。僕らはそのままテーブルで食事を続けたが、奥からエウヴィスと親父さんの声が聞こえてくる。内容は聞き取れなかったがエウヴィスは聞いたこともないほど優しい声で「会えて良かった」という言葉だけをしきりに繰り返していた。

 

小一時間ほど過ぎ、金沢のライブハウスへ向かう時間がやってきた。親父さんは再婚した奥さんと二人でエウヴィスを丁寧に見送り、僕らに「頑張れよ!」と声をかけてくれた。エウヴィスも「父さんまた来るよ、体に気をつけて」と言い笑顔で別れを告げたが、必要以上に上げた口角が言葉にならない心情を表していた。

 

 

別れの挨拶を済ませるとエウヴィスは早々と車に乗り込む。するとエウヴィスは走り出した車の窓から三国の街並みに視線をやり「こんなところに住んでたんだ」と一言。溢れた心から漏れたであろう言葉が車内にこぼれ落ちた。

 

車は北陸自動車道に入り海岸沿いを快調に進んだが、ほどなくして聞こえてきたのは後部座席でタオルをかぶって寝ていたエウヴィスのすすり泣く声。運転していたマッカスはそれに気づくと無言でスピーカーのボリュームつまみを大きく右に回した。車内にはリアム・ギャラガーの歌声が大音量で響き渡った。

 

その後は金沢AZ、新潟はオフを挟んでJUNK BOX mini、Z-1と回り僕らの1ヶ月半におよぶ長旅は終わりを向けた。残りの東北・北海道ツアーは別日程。ここからは関東を拠点に地方を数日まわるというゆるめのスケジュールに切り替わる。

 

新潟でのライブを終えて関越自動車道を時速140kmでぶっ飛ばしたところ3時間弱で帰京。大泉ICを降りてすぐのところにあったコンビニに寄ると、しばらく地方を転々としていたせいか東京の空気はひどく濁っているように感じた。

 

地方では「あそこは住むところではない」と東京の悪口を散々言いふらしてきた僕だが、このよどんだ空気はどこか懐かしく、何だかんだ東京が好きなのだということを気づかせてくれた。

 

メンバーを一人ひとりの家に下ろして深夜2時頃に解散。ただ実家の消滅した僕に帰る家はない。両親に電話をするも借金取りから逃げているせいか安定の「現在使われておりません」アナウンス。

 

とりあえず腹が減っていた僕は退職時に返し忘れたバイト先の鍵を使って厨房に忍び込み、適当な食材に火を入れて胃袋に詰め込んだ。そして、そのまま休憩室の椅子に座って休んでいるといつの間にか寝落ちしていて朝を迎えた。

 

出勤してきた店長に見つかり「何やってんだよ!」と怒鳴られる。「出勤かと思ってました」と適当に言い訳をブツけてみたが「お前先月で辞めたろ!」と正論で返される。僕は「そうでしたね、じゃあまた来ます」と言い残し店を後にして、あてもなく最寄駅の高円寺へと向かい駅前でタバコをふかす。

 

「日本一汚い鳩」の称号を授けるにふさわしい高円寺名物の汚鳩を見つめながら、この先について思案。とりあえず家を借りるしかないという結論に至り、駅前にあったアコムのキャッシュディスペンサーへ直行し30万を引き出す。続いてそのビルの1Fにあった不動産屋へ行き「敷金・礼金無し家賃5万円の部屋ありますか?」と聞いてみる。

 

「これ何かどうでしょう?」と紹介されたのは新高円寺に近いアパートで家賃は5.5万円、敷金1ヶ月の物件だった。考えるのが面倒だったので「はい、じゃあこれで」とポケットから30万円の札束を出し入居に必要な費用を数える。審査や鍵などは交渉して当日のうちに済ませてもらい即日入居が実現した。

 

手元に残った金は約4万。ここから生活用品を1日で揃えようとレンタカーを借りた。車でリサイクルショップをまわり冷蔵庫と洗濯機を手に入れようと物色をしていたところ、Rolandの88鍵電子ピアノがキズ有り3万円というのを発見。

 

以前からピアノを弾いてみたかった僕はその場で電子ピアノを購入。新居にピアノを運び込みレンタカーを返して家に戻るとそこにあったのは電子ピアノ・ドラム関連機材・着替えの入ったバッグが1つ。はじめて自分の頭がおかしいのではないかと疑った。

 

ツアー最中から更新していたブログにこの一連の不可解な出来事について綴ったところ数人のファンの方から連絡が入り、生活に必要な寝具やカーテンなどの物資を送ってもらうことに。ありがとうを通り越して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

家を借りた直後に裕子に連絡すると「私一緒に住もうと思ってたんだけど…一言あっても良かったんじゃない?」と苦笑いしていた。僕も実家が消滅したときに同棲を考えたが、これからも続くであろう不安定な生活に彼女を巻き込むのは気が引けたため、自分一人で暮らそうとツアー中に決めていた。

 

しかしその決心とは裏腹に、数日後に裕子が荷物を持って家にやってきて狭い1Kのアパートで一緒に暮らすことになった。おかげで僕の暮らしぶりは安定した。

 

とはいえ僕の生活は変わらず。その日暮らしの日銭を稼いでは毎日スタジオで練習を重ねた。ツアーを終える頃には1000枚作ったCDが600枚ほど捌けており、都心・地方を問わずイベントに呼ばれる機会も増え月10〜12本ほどのライブをこなす。それでもバンドの売上は月に20万程度。「これでいいのか」という不安と焦燥感だけが募っていった。

 

裕子とともに休日を過ごす日は月1日もなかったが、僕から見た彼女は明るく楽しそうに暮らしている様子だった。深夜に帰宅すると常夜灯の明かりの中から聞こえてくるのは「おかえり〜、今日どうだった〜?」という寝ぼけた声。

 

壁にぶら下がった小さなホワイトボードには作り置きの食事のメニューと、料理のこだわりポイントやその日の出来事などが簡単なイラストと共に綴られていた。

 

僕は裕子にこそ伝えていなかったものの朝起きて目に入るその日記を毎日楽しみにしていた。ただそれと同時に、ぼんやりとホワイトボードを見つめ「あの子の幸せは本当にこの部屋の中にあるのだろうか」と考えることも増えていた。

 

そんな中、事件は起こった。ある朝、いつものように裕子の書いたホワイトボードを眺めているとたまじさんから電話が入る。「おいチャッピー、やべえ!西原さんと全然連絡がつかねぇ!CDの売上も入金されてない!」。僕は瞬時に目が覚めた。

 

僕らのCD1枚あたりの売上は2000円×40%(僕らの取り分)=800円。アルバムはCDショップで約300枚ほど売れていたため受け取るはずの金額は約24万円。電話が入った時点で西原さんから指定された入金日は大幅に過ぎていた。

 

「とりあえず今から行くわ」と話し、たまじさんの住む下北沢で合流。西原さんの携帯に何度連絡するも出ないため名刺にあった住所へ突撃することに。

 

駒沢にあるマンションの一室にたどり着いたがインターフォンが鳴らないことから退去済みであると予測できた。同じレーベルのバンドにも連絡したが「俺たちも連絡つかなくて困っている」とのことだった。

 

「あのクソおやじ、マジかよ…」僕らはその売上を元に次作のレコーディング予定を組んでいたため、このまま未入金であればそれは僕たちの借金を意味する。帰り道ではいつもに増して足どりの重たさを感じた。

 

プロモーションを依頼するはずだったレーベルが飛び、レコーディングすらも危うい。西原さんを招き入れたのは僕の判断によるところが大きかったため余計に責任を感じていた。「とりあえず冷静になって1日考えよう」そうたまじさんと話をして、翌日のバンド練習までに軌道修正の策を二人で考えることになった。

 

20時頃帰宅すると、たまねぎを炒める良い匂いがした。「お、バンドマン発見!今日は珍しく早いじゃないか!」と裕子は夕食の支度をしながら明るく出迎えてくれた。僕が「おい、バンドマンの彼女!背中に後ろ指がささって血出てるぞ!」と返すと裕子は「知ってたんなら病院連れてけ〜!」とおどけて見せた。

 

そのやり取りに少し心がほぐれた僕は普段通りに夕食を食べ風呂に浸かり、ベッドに入った。僕がベッドに横たわりにながらバンドの今後について考えを巡らせていると、寝そうになっていた裕子が小声で一言「人間、死ぬ気になれば何でもできるんだよ。考えすぎは疲れるだけだぞ、と2つ上のお姉さんは言っておくよ。少年」。

 

「死ぬ気かぁ…」と僕は裕子の言葉を何気なく復唱した。するとスイッチが切り替わったかのように頭が冴え、途端に起死回生のアイデアが浮かびはじめた。興奮した僕は頭の中であ〜でもないこ〜でもないと策を組み立て続け、一瞬のうちに朝を迎えた。

 

僕が出かける準備を済ませた頃、少し遅く起きた裕子も支度をはじめていた。僕が家を出る際「昨日ありがとな…俺、死んでくるわ!」と告げて威勢良くドアを開けると「いや、死んだら意味ないから〜」という裕子の言葉がグラデーションがかって僕の背中を撫でた。

 

 

次回:夢と言い訳とバンドマン

 

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