世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

素敵なカンチガイ

バンドマンシリーズ6回目。数少ないであろう読者のみなさま、いつも読んでくれて本当にありがとうございます。ここからが本番です。

 

Twitterタイムラインの更新を待ってしまうくらい暇だという方は初回からご覧ください。

 

1回目

 

2回目

 

3回目

 

4回目

 

5回目

 

 

「レコーディング 格安」と散々調べて行き着いたのは東京とは呼べないくらい山奥にあるスタジオで一軒家を改築した個人経営スタイル。DATというテープに録音する古いレコーディングシステムを使う代わりに料金は1時間3000円と破格だった。

 

1日10時間を3日連続で押さえ10曲すべての音を録音し、音のミックス作業まで終わらせるという条件付きで1時間2500円までディスカウント。結果的に75000円という相場の半額以下でのレコーディングが可能になった。

 

本来はドラム→ウッドベース→ギター→ボーカル→コーラスという順番で撮るのだが、時間短縮のためドラムとウッドベースは一緒にレコーディング。

 

1箇所ミスったら最初からやり直しというプレッシャーを背負いながら30分に1曲のペースで何とか仕上げ、初日はリズム隊を録り終えギターを途中まで録音。2日目の後半には途中だったギターと歌を入れて、残りの時間はすべてミックスに使った。

 

音源が出来たら次はツアーのブッキングやグッズ制作。僕は作詞・作曲が出来ない代わりに裏方の仕事をすべて引き受けた。地味な仕事かと思いきや、これはこれで商いごっこのようで楽しかったし、ライブハウス事情についても知ることができた。

 

特にバンドからお金を吸い上げる場所だと思い込んでいたライブハウスの「ツアー」という独特の仕組みには驚いた。

 

通常ライブハウスはバンドにチケットノルマという名目で演奏枠を販売しているのだが、ツアーバンドは特例でノルマが無い。さらに動員が1名でもあればほぼ100%がギャラとして返ってくるという仕組みだ。

 

その正体はツアーに出るほどの有名バンド?を誘致することで、ツアーバンドと繋がりたい地元バンドをブッキングするという地方ライブハウスのマーケティングでもあるわけだが、ツアーバンドは無料で宣伝ライブができるのだからWin Winだ。

 

僕は毎日の練習の傍ら、バイトの休憩時間を利用して地方ライブハウスとのやり取りを進めツアーをブッキング。Tシャツやステッカーなどグッズの原価を計算して値を決め、業者を選んで発注するなどの裏方仕事を黙々とこなした。

 

半年という長いようで短い準備期間を終えた2006年5月12日。DRAWSの1stAlbum「GO AND GO」が発売になった。バンドマンからすればたかがリリース。「あ、おめでとー」くらいなものだ。しかし、僕を高校生の頃から知っている裕子は「あの無気力で自堕落な少年がCD出して全国ツアーってすごいことでしょ!」と興奮していた。

 

裕子以外でもバンドマンの内情を知らない親族や友達たちはCDデビュー、あわよくばメジャーデビューとこれ見よがしに話を膨らませた。本人としては主張の強い髪型で躊躇なく借金を重ねるただのフリーター。つまり、社会的底辺としての自覚を持って生きているわけだから、気持ち悪いことこの上ない。

 

発売日は僕よりもリリースを喜んでいた裕子と横浜のタワーレコードへ。CDを発売したとて、無名の新人である僕らの作品を入荷している店は限られている。ただ、レーベルの代表である西原さんのおかげで横浜の店では試聴機入りを果たしていた。

 

三枚つ入る試聴機の一番上には僕らの75000円でレコーディングしたCDと写真を加工したCDショップ風のPOP。裕子はここぞとばかりにパシャパシャと写真を撮り始めた。

 

二番目には10-FEETというありえない順番に目を疑ったが、これまで買うばかりだったCD屋に自分が関わったものが並んでいるというのは不思議な感覚があって、けしからんとは思いつつも少しだけ誇らしい気持ちになった。

 

家に帰れば母親と裕子がカニやステーキ、グラタンなどプリン体たっぷりの豪華な食事を用意してくれた。久しぶりの家族団欒。和気藹々とみんなで食事をしていると父親は笑顔で言った。「CD発売おめでとう、我が息子ながら誇らしいな。だがアレだ。お前がツアーから返ってくる頃、この家は無くなる。すまんが一旦佐藤家は解散だ(笑)」

 

(笑)ではない。人間、本当に驚くと呼吸が止まると知ったのはこの時だ。理由はこうだ。事業失敗により家賃半年滞納というのは最もらしい言い訳で、その裏には「家賃を払ってください」と懇願してきた大家さんを父親が怒鳴り散らして裁判に発展するという、パチンコでいうところの激アツリーチ的な背景があった。

 

裕子はすでに知っていたようで「とりあえず行って来なよ!住むところは帰ってきてから考えよ!」というと僕以外の全員が大笑い。どうやらリリース準備に忙しかった僕に気を使って家族全員が内緒にしてきたようだ。僕はその賑やかな様子を伺いながら、悲しみを帯びた目の前の料理を頬張った。

 

たまじさんの住む下北沢に集合して機材車のNOAHに乗り込む。246号線を抜けて東名高速へ。今回のツアー、西は福岡、北は北海道までの計34箇所。「この1枚で売れるっしょ」という素敵なカンチガイとともに僕らは全員仕事を辞め1ヶ月半の旅に出た。

 

スタートの静岡県は静岡サナッシュ、清水JAMJAMJAM、浜松窓枠と三日連続のライブ。浜松窓枠で対バンしたイケメン大学生バンドはパンクロック系のコピーバンドで僕と同い年の22歳。彼らは最後の曲を前にMCでこう言った。

 

「来年の今頃はきっと俺らもどこかの会社で働いていて…そう思うともう子どもで居られる時間は終わったんだなって思います。悲しいけど、いつまでもバンドなんて続けるわけにもいかないよ。だから今日が最後のライブ…」(やめないでー!と女の子の声)

 

22歳でバイトを辞めて家を失くし意気揚々と全国ツアーに飛び出した僕に対しては侮辱に値するほどのMCだったので驚いたが、彼らが僕の内情について知り得るはずもないことに気づき胸をなでおろした。そして、大勢の人がそうなるようにこれから社会人として立派な道を歩むであろう彼らのMCは続いた。

 

「じゃあ、最後に。ホント最後…聞いてください。グリーンデイでマイノリティー!」

 

「逆じゃない?」僕は思わず声に出して突っ込んでしまったが、その声はギターのアルペジオと女子大生の歓声に虚しくもかき消された。

 

愛知県は安城Radio Club、大須OYS、名古屋CLUB ROCK'N'ROLL、鶴舞DAY TRIPの4本。岡崎市にある新星堂でも僕らのCDを試聴機に入れてくれていた。

 

しかし、ライブハウスではいずれも客は十人足らず。「遠方まで来てこれか…」と落胆する日もあったが、CDの売れない日が1日もないという事実は心の支えになった。

 

ツアー先のライブハウスでは対バンの人たちから「どこのホテル泊まってるの?」とよく聞かれるが、ライブを重ねるに連れて「野宿です」と食い気味かつ笑顔で答えられるようになった。

 

僕らはライブが終わると車で良い感じの公園を探し、じゃんけんで勝った二人が車、負けた二人はベンチという具合に寝床を分けていた。しかし、公園ならどこでも泊まれるというわけではない。

 

公園のベンチの中央にある肘掛けは一見親切なように見えるが、ホームレスの寝床対策であるということに気づいたのはこの時だ。特に繁華街に近いところはほぼすべて公園のベンチの中央に肘掛けがある。

 

また肘掛けのない平らなベンチを見つけてもトイレなど水場がないところは敬遠してしまう。トイレが近く、ベンチが平坦で、おまけに朝日を遮れるよう東の方向に大きな木があればベスト。そこは僕たちにとって無料のホテルだ。

 

岐阜BRAVOを終えて滋賀B♭、京都磔磔へ。B♭では当時ライブハウス界隈で有名だったGENERAL HEAD MOUNTAINと対バンだった。全員僕よりも年下ながら圧巻のパフォーマンス、そして50箇所のツアーというありえないスケジュール。名実ともに自分たちよりも格上だと実感した。

 

京都磔磔ではスウィングジャズのビッグバンドと対バンした。ライブが終わったあとにリーダーの西園寺さんから「お前ら度胸あるな〜(笑)ここはそこそこ名のある人が来るハコだぞ?」と話かけられた。

 

話を聞いてみると西園寺さんは磔磔から「無謀な若者が来たぞ〜!相手したってくれ〜!」と連絡が来て、この日のライブを取り仕切ってくれたそう。そして、初の京都ライブで動員が0人だった僕らに1万円のギャラを差し出してくれた。

 

僕らはライブをさせてもらえただけでもありがたいと断ったが「それは有名になって返しにこいや!」と僕の胸ポケットに1万円を突っ込んで笑って見せた。僕らは深々と頭を下げて「ありがとうございます!」と全力でお礼を言った。

 

磔磔での終演後荷物を積んでいるとCDを買ってくれた一人のおじさんが例のごとく「お前らどこのホテルなん?」話しかけてきてた。

 

寝床の説明はもう慣れたもので野宿から理想の公園についてのくだりを伝えると、おじさんは大笑いしながら言った。

 

「そりゃ面白ろいな!!俺は上野いうバイク屋や。お前ら今からうち来いや!」

 

時刻は23時。僕らは上野さんの家がある郊外までついていった。家に入るなり上野さんは寝ていた奥さんを「おい!客来たぞ!飯作れ!」と起こす。恐縮も恐縮だったがきっと初めてではないのだろう。奥さんは優しい笑顔で僕らを出迎えてくれた。

 

「お前ら!腹ちぎれるまで全力で食え!」上野さんの掛け声とともに僕らは「いただきます!」とがっつく。肉、魚、野菜。パックご飯&塩という食事が続いていた僕にとって上野家の食卓は貴族気分まで味わわせてくれた。上野さんはタバコを吸いながら僕らがすごい勢いで食べる様子を笑って見ていた。

 

「よし!今日は寝るな!飲むぞ!」号令とともに上野さんの差し出すウイスキーを口に運んだ。苦さ以外の味は感じなかったが、入れ物からして高価であろうことは察しがついたため「オレンジジュースありますか?」の一言と一緒に飲み込んだ。

 

そこから朝まで宴は続いた。僕らも素性やそれぞれの背景を洗いざらい話し、上野さんはこれまでの半生を語る。そして現在はとある病で余命宣告を受けており酒タバコ厳禁の生活を余儀なくされていることを教えてくれた。

 

僕らはそれを聞いて酒とタバコを全力で止めたが「今日はええんや、お前らほど酒の進む面白い奴らはなかなかおらんからな(笑)」と言い、グラスの三分の一ほどあったウィスキーをあおるように飲み干して僕らに見せつけた。

 

翌日、大阪のライブハウスに向けて出発する際、上野さんは自身の経営するバイク屋のステッカーを4枚、僕ら一人ずつに渡してこう言った。「これうちのフリーパスやから、近く寄ったら必ず顔出せよ!」

 

僕らはその場で車から楽器を下ろし、たまじさんとエウヴィスはギターに、マッカスはウッドベースに、僕はスネアにステッカーを貼った。ゆっくりと走らせた車のサイドミラーには角を曲がって見えなくなるまで手を振り続ける上野さんの姿が写っていた。

 

次回:ホームレスとバンドマンの違い

 

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