世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

バンドマンデビュー

本日はバンドマンシリーズ3回目。

 

本当に暇で仕方がないという方は初回からご覧ください。

 

1回目

 

2回目

 

「とりあえずこれさえ出来れば何とかなるよ」と山岡さんが僕に教えてくれたのはエイトビートと呼ばれる基本的なリズムパターンの一つだ。ドンタンドドタンと聞き覚えのあるリズムだったので簡単だろうと真似てみたが、面白いほど手足が一緒に動いてしまい何一つ再現できなかった。

 

山岡さんは「最初は皆そんなもんだわ」と笑って、手足それぞれのリズムを一つずつ練習するよう教えてくれた。1時間ほど叩き続けてそれらしいリズムが刻めるようになると、山岡さんは「お!才能あるね!」と僕の機嫌を取るように言った。

 

そこから約1ヶ月ドラムを練習し簡単な曲をかろうじて叩けるようになった頃、山岡さんが見つけてきたギターボーカルと3人で曲を合わせることになった。

 

スタジオの場所はバンドマンの街、下北沢。スタジオ当日、山岡さんと二人で下北沢駅の南口を出たところに座りギターボーカルを待っていると、黒いパンツに赤と黒のボーダーのセーターを着たいかにもバンドマン風のイケメンが商店街の中から笑顔でこちらに手を振りながら歩いてきた。

 

「どうも、よろしく!」と笑顔で握手を求めてきた彼の名前はたまじ。僕より3つ年上の23歳で身長は約150cmと小柄だがジャニーズ顔のイケメン。人懐っこく底抜けに明るいその様子からは明らかなワンピース好きの兆候が見て取れた。

 

僕が「あ、はじめまして。佐藤です」と暗めの挨拶で返したのは、たまじさんは自分がルフィー的な存在であることを信じて疑わないタイプだと察したからだ。この手のタイプに深入りすると完全に振り回される。そして、そう教えてくれたのは僕の横にいる山岡さんに他ならなかった。

 

かくしてバンドの音合わせがはじまった。当日は二人が持ってきたオリジナル曲を演奏するということで初心者の僕はリズムを刻んでいれば良いだけなので気負うことはなかった。山岡さんが持ってきたパンクロック風の曲の名前は「クロムハーツ」。偶然にも僕が知っているシルバーアクセサリーのブランド名と一致していた。

 

グリーンデイ、オフスプリング、ブラーを足すだけ足して割る作業をしなかったその曲に「前衛的」以外の言葉を僕は見つけられなかった。しかし、山岡さんが一生懸命歌っている姿を見ると胸が締め付けられ、演奏が終わったあとにかける言葉を僕もドラムを叩きながら一生懸命探した。

 

たまじさんが持ってきた曲は跳ねたリズムのポップなロカビリー調で聞きやすかった。その後、会話の流れで曲名を聞くと彼は「Bring It Back Again…」と小声で言った。これまた偶然にも僕の知っているストレイキャッツというバンドの曲と全く同じ名前だったことに驚いた。

 

スタジオを終え下北沢南口商店街の中にある安い焼き鳥屋で酒を飲んだ。山岡さんは大好きな甲本ヒロトの歌詞について熱く語り、たまじさんはブライアン・セッツァーのギターについて大きな目を輝かせて熱弁を振るう。

 

端から聞いているとお互いがお互いの話を全く聞いていないので会話は一つも成り立っていないのだが、彼らはおかまいなしに話を続けた。そしてふと、勢いに押されて黙ることしか出来なかった僕に気づいたたまじさんは焼き鳥を頬張りながら「佐藤くんは何が好きなの?」と聞いてきた。

 

熱く語れるほど好きなアーティストなんていなかった僕は何となく「レッチリ…とか」と答えた。するとたまじさんは「最近の若い子ってみんなレッチリ好きだよね」と返してきたため、僕は「この人と仲良くなることはないだろうな」という確信を得た。

 

しかし、なりたいものどころかパチンコ以外に好きと言えることのなかった僕にとって、今の自分ではない何かになろうと足掻く彼らの姿は少しだけ羨ましいものだった。

 

二人が一通りの話を終えると「とりあえず一回ライブやってみるか」というありえない方向に話が落ちはじめた。話を聞いてみると、たまじさんの知り合いでライブイベントを主催している人がおり、そのツテでライブに出ることができるとのこと。

 

「いや、僕まだはじめて一ヶ月なんで」と前向きではない意見を言うと「俺が教えてやるよ」とたまじさんが名乗り出た。

 

ギター小僧が何を言うかと思いながらも話を聞いてみると、どうやら彼は元々ドラマーとしてCD5000枚を売った青春パンク系のバンドで活動していた経歴を持っており全国ツアーも経験している猛者だったのだ。ちなみにドラムを辞めてギターボーカルをはじめたのは「目立ちたいから」というシンプルなものだった。

 

そこから山岡さんは曲作り、たまじさんも曲を作りながら僕にドラムを教えてくれた。たまじさんとスタジオに入ってみると彼は高速でツインペダルを使いこなすほどのすごいドラマーでギターの腕がかすむほどの演奏力を持っていた。

 

「いいか?クリックを使わないドラマーはドラマーって言わないんだよ」と持論を展開したたまじさんは、スティックの振り方からリズムを安定させるための基礎練習を紙に書いて僕に渡し「寝ても覚めてもこれをやれ」と言い放った。

 

その内容はBPM100でクリックを鳴らしてスネアドラムとバスドラムを一定のリズムで叩き続けるという単純なもので、スタジオに入ったらこれを休むことなく1時間半、残りの30分は曲のフレーズを考えろ丁寧に時間割まで記載されていた。

 

ライブが3ヶ月後に決まると二人の目つきは変わりバンドの練習は初回とは比べものにならないほどシビアになった。

 

僕がミスれば演奏は止まり、山岡さんとたまじさんから罵声が飛んでくる。毎日練習しているにも関わらず浴びせらる「お前本当に練習してんのかよ!」の一言は人格否定とも取れるほど強烈なものだった。

 

それから僕はとにかく二人に怒られたくない一心でドラムを叩き続けた。当初は二人の作ってきた曲に不平不満を言う余裕もあったが、いつしか曲の良し悪しについて考えることすらなくなっていた。バイトが終わってから毎日2時間。バンド練習がある日もそのあとに一人でスタジオに入って黙々と叩き続ける。そしてライブ当日を迎えた。

 

場所は下北沢屋根裏で出演順は2番目の19時から。バンド名はいつの間にかたまじさんが勝手に決めたbilly's cafeという名前に決まっていた。由来を聞いてみると「ビリーってウィリアムのあだ名なんだってね」とよくわからない答えが帰ってきたが、彼がありったけのナルシズムを込めてつけたバンド名であることは感じ取れた。

 

14時にライブハウスに到着して他のバンドのリハーサルを見ていると、ドラムは皆明らかに僕より上手かった。その様子にたじろいでいると山岡さんは「佐藤くん怯むな、練習してきたんだから堂々とやろうぜ。」とフォローしてくれた。

 

リハーサルを終えてマンションの一室のような5階の楽屋に上がり出番を待った。楽屋は街に転がっている小さな悪を集めたようなところで、髪がツンツンに逆立っている人や金髪のモヒカン、目の吊り上がったイカついお兄さんがガハハガハハと声を上げて談笑しており、一般人の僕にとってこの上なく居心地が悪かった。

 

出番が近づくに連れて緊張感が増してきた僕は居ても立ってもいられず下北沢の街を練り歩きながら裕子に電話をかけた。

 

「あ〜、もしもし。俺だけど」

 

「どうしたの〜、もうすぐ出番でしょ?見に行くよー!」

 

「いや、緊張しすぎて吐きそう。ていうか帰りたい」

 

「そっか〜。はじめてのライブだしそりゃ緊張するよね。でも練習してきたじゃん」

 

「みんな俺より全然上手い」

 

「そうなの?大丈夫だよ、素人には上手い下手なんてわかんないんだから」

 

「ほんと帰りたい、俺何やってんだこんなとこで」

 

「そう言わないで頑張…あ、ごめん電車きちゃった!あとで行くから頑張ってね!」

 

裕子と話したことで少し冷静さを取り戻した僕は出番に向けて準備をするべく楽屋へ戻った。するとたまじさんは僕を見つけるなり「心配するな。リハを見てわかる通りお前は今日、ここにいる誰よりもドラムが一番下手なんだ。ちょっとミスったって誰も驚きゃしないよ」とフォローか嫌味かわからない一言で僕を惑わせた。

 

上京後はじめてのライブを迎える山岡さんは「ようやくはじまるで」と自分の世界に入り込んでいて「佐藤くん、頼むわ」と並々ならぬプレッシャーをかけてきた。そうこうしているうちに1バンド目の演奏が終了。インターフォンで「billy's cafeさんお願いします」と呼び出しが入った。

 

入り口から客席を割ってステージに上がり山岡さんはベース、たまじさんはギター、僕はドラムをセッティング。会場はイベンターや他のバンドの力もあってパンパンだ。恥をかくならせめて少人数でと考えていた僕の望みはありがたくも打ち砕かれた。

 

セッティングを終え3人がアイコンタクトを取るとたまじさんが手をあげて、演奏のはじまりを知らせる。流れていた音楽が止まると同時に僕がハイハットで4カウントを入れて1曲目がはじまった。

 

曲がはじまっても緊張が解けずフワフワとしていた僕は、自分の叩くフレーズを頭の中で追いかけ二人に迷惑をかけまいと必死に叩いた。ギンギンに焚かれた照明に照らされて汗が吹き出す。ふと前をみると100人近いお客さん一人ひとりの表情がスローモーションのように映った。

 

2曲目、3曲目と続き残り3曲の時点でたまじさんのMCが入り演奏は止まった。観客は盛り上がるでも冷めるでもなく真顔で見ている人が多かったため、僕たちの音楽がウケてはいないということは理解できたが、この場を早く去りたい僕にとってそんなことはどうでも良かった。

 

そこから4曲目を終えて5曲目。山岡さんのクロムハーツを演奏している時に事件は起こった。もうあと少しでライブが終わるという気の緩みから僕が曲の展開を間違え、混乱して演奏を止めてしまったのだ。

 

100人近い観客の視線が一斉に僕に集まり、2秒後には山岡さんが鬼のような形相で僕を睨んでいた。すると、場の空気を察したたまじさんがすかさずMCを入れ、曲は最初からやり直すことに。そのまま何とか6曲目まで演奏して初ライブは終了した。

 

僕は呆然としたままステージを降りた。隅で見ていた裕子が「お疲れ〜!かっこ良かったよ〜!」と肩を叩いてきたが、振り向く気にはなれずそのまま5階の楽屋へと向かった。

 

僕が部屋の隅に座りうなだれていると帰ってきたたまじさんが「たった3ヶ月でお前はよくやったよ」と言いながら頭にタオルをかけてくれた。悲しくもないのに僕の目には涙が溢れ、それを隠そうとなおさら下を向いた。

 

一方、山岡さんは楽屋へ帰るなり静かに言った。「たまじ、俺抜けるわ」。たまじさんは「そっか!」と作り笑いを浮かべた。山岡さんは続けた「俺はこのままじゃダメだ。曲もそうだし、もっとすごい奴らと一緒にやりてぇ」。そう言い残して山岡さんはふさぎこんだ僕には触れずに荷物をまとめてその場を後にした。

 

僕は山岡さんに満足するライブをさせてあげられなかったことへの申し訳なさがあった反面、これで苦しかった日々が終わるということに安堵していた。バンドなんて僕には向かなかったのだと諦めもついていたからだ。

 

フロアに戻り他のバンドのライブを見た。輝かしい彼らのライブに客席は大盛り上がりしていて、その光景が僕の目には映画のエンドロールのように映っていた。もうこの場所に来ることもないのだと思うと少しだけ寂しかったが一切の悔いはなかった。

 

すべてのバンドが出番を終え帰り仕度を済ませてたまじさんと一緒にライブハウスを出た。僕は最後にたまじさんに礼を言ってから帰ろうと思い、どうでも良いやり取り続ける中で伝える機会を伺っていた。

 

会話が途切れ「たまじさん、短いあい…」と切り出したところ、たまじさんは僕の話を遮るように言った。「とりあえずメンバー探しからはじめるか。チャッピー」。

 

散々なライブをしておいてベースも抜けた。その上、初心者の僕を引き連れてまだバンドをやろうとしている彼の前向きさに開いた口が塞がらなかった。そして気になった呼び名について「チャッピー?」と聞き返すとたまじさんは言った。

 

「いや前々から思ってたんだけどさ、お前、南国少年パプワくんに出てくる犬に似てんだよな。だから今日からお前はチャッピーな。」

 

「う〜ん、うん」僕は名前についてかバンドについてかわからないまま返事をした。

 

「一緒に練習して上手くなってさ、とりあえず山ちゃん見返すくらいのバンドになろうぜ。まあ明日バイト終わったらウチ来いよ。それから今後の策を一緒に考えようじゃないか」

 

それを伝えるとたまじさんは「打ち上げに遅れる!」と急ぎ足で去っていった。

 

帰りは裕子と一緒に電車に乗って家まで帰った。地元の駅について家まで歩いている最中、裕子にバンドを続けることになりそうだと話をしたところ「あれだけ嫌がってたのに続けちゃうあたり、しょうちゃんらしいね!」と大笑いし、手を双眼鏡のように丸めて「お!バンドマン発見!」とふざけてみせた。

 

「私も22歳でバンドマンの彼女か。でも来月から夜の仕事やめてエステティシャンになるし。最悪、食わしてやるから思い切りやっといで!」と語る裕子はどこか嬉しそうだった。僕は裕子に対して後ろめたい気持ちがありながらも、やれるところまでやってみようなどと、これから繰り広げられるバンドマンとしての生活にわずかだが光ある未来を描き始めていた。

 

続く

 

4回目はこちら↓

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