世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

フリーターの進化系はバンドマン

本日は二話目なので暇な人は一話目からどうぞ〜

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大学を中退した僕が働き始めたのは地元にあったデリバリー専門の中華料理屋の配達員で時給は1000円。パチンコを打ちながら暮らすにはもう少し金が必要だったが、配達中は誰からも干渉されないという自由さに惹かれて働くことを決めた。

 

アルバイト初日。小汚く締まりの悪いガラスの引き戸を開け、ぬちゃぬちゃとした感触を靴裏に感じながら油まみれの床を踏み進めると、ロッカルームの前で金髪のイケメンが突っ伏して泣き崩れていた。「アンダーグラウンドへようこそ」どこからかそんな声が聞こえたような気がした。

 

「居場所がねぇんだよ〜」風俗狂いの店長に向かって大声で叫んでいたのは長野からメジャーデビューを目指して上京してきたギタリスト平田さん21歳だ。

 

店長曰く、平田さんは少し前に大好きだった彼女にフラれて精神が不安定になり音信不通になったとのこと。ようやく現れたその日、店に保管してあるつり銭を盗んで逃げようとしたところ店長に捕まり、あえなく御用となったというわけだ。

 

その他にも店には個性的な人がたくさんいた。小指のない舞台役者で蚊の鳴くような声で話す高橋さん34歳、「パスポートは失くした」と言い張る中華人民共和国・福建省出身の陳くんは年齢不詳。極め付けは出会い系サイトに毎月15万をつぎ込む小デブ坊主の江口くん。デフォルトで尖っているその口元は彼の性格の大方を示していた。

 

彼は100万円以上を課金してようやく取り付けた女の子との約束に「結婚してきます」とタキシードを着込み薔薇の花束を持って挑んだ19歳。後日談によると当日8時間待っても女の子は現れなかったそうだが、プライドの高さからバイト先では「付き合ったけどその日に別れた」とみえみえの嘘を堂々とつく生ける伝説だ。

 

いつ行方を眩ましてもおかしくないアングラなメンツに囲まれて良かったことは一つ。新人の僕が他を差し置いて3ヶ月でバイトリーダーになれたことだ。シフト作成や資材発注、新人教育を行う代わりに僕の時給は100円もアップした。

 

僕がリーダーになってすぐ、陽気で良い奴だった陳くんが職務質問にあい不法滞在の罪で強制送還された。罪人ではあるが一緒に働いた仲間だというのに、その話を聞いて誰一人顔色を変えることはなかった。産まれて初めて人格は欠損するものだと知った。

 

数日後、代わりの新人がすぐに見つかり店長は「今日新人来るから佐藤くんよろしくね〜」と言い半休を取得。そして彼は「今日は新人イベントなんだ」と池袋のヘルス街へ消えた。

 

その夜、僕が店で待機していると西部警察の大門のようなサングラスをかけベースらしき楽器を背負い、革パンを履いた大男が店の前をウロウロしていた。漂うアングラ臭に僕は「この人じゃありませんように」と唱えながら店を出た。すると大男に「山岡です。よろしくお願いします」と低い声で話しかけられ一気に気分が沈んだ。

 

山岡さんは福島県出身の23歳。誰もが知る一流企業の職を新卒入社後半年で捨て、学生時代から続けてきた音楽でプロになりたいという夢を抱いて上京したベーシストだ。話してみると大学を出ているだけに常識があり「仲良くできそうだ」と親近感が湧いた。しかし、山岡さんは一流企業で仕事をしていたと語る割に仕事の覚えがすこぶる悪かった。

 

配達の仕事は注文が来なければ何をやっても良いというダメ人間養成所みたいな環境だったこともあり、僕と山岡さんはすぐに打ち解けた。僕は高校に友達が一人も居なかったこと、好きなパチンコ、付き合っている裕子の話。山岡さんは一流企業のあくどさや音楽の話、満員の日本武道館でライブがしたいとそれぞれの人となりや夢を語った。

 

僕らが話をするとき、山岡さんは決まって自分の好きな音楽を流した。ある日流れたEastern youthの「夏の日の午後」という曲を僕は気に入り「めちゃくちゃカッコ良いですね」と興奮気味に伝えると「センスが良いね」と山岡さんは嬉しそうに笑った。

 

次の日、山岡さんは「コレ聞いてみな!」とおすすめCDを2枚貸してくれた。僕はそこまで音楽に興味は無かったのだが、山岡さんの好意を無下にしたくなかったので家に帰ってしっかり聴いた。

 

貸してくれたのはパンク系。ラモーンズのベスト盤とクラッシュのロンドンコーリングだ。山岡さんは僕に「どうだった?」と嬉しそうに聞いてきた。僕は「カッコ良さそうなのはわかるんですけど、いまいちピンと来なかったですね」と正直に答えた。

 

すると山岡さんは待ってましたとばかりに「じゃあ次これ聞いてみな」と言ってレッドホットチリペッパーズの「カリフォルニケーション」「バイザウェイ」を貸してくれた。しかし、このやり取りがずっと続くのはしんどいと感じていた僕は、これが好みでなければCDを借りるのはやんわり断ろうと心に決めていた。

 

家に帰り義務感に駆られながらもCDを聴いた。すると僕の中でレッドホットチリペッパーズがまさかのスマッシュヒット。僕は山岡さんに会うのを待てずにメールした。

 

「山さん、これはヤバいです。特にこの青い絵のジャケットの1曲目。ドリルみたいな音入ってますよ!」と送ると。

 

「佐藤くん、それジョンのギターだわ。メチャクチャかっこ良いだろ?やっぱレッチリは万人共通だな」とすぐに返ってきた。

 

次の日、山岡さんに会えるのを楽しみに出勤すると彼は普段あまり見せないクールな表情で店の前を掃除していた。僕は機嫌の悪さを察し気を使って言葉は挨拶に留め、少し離れたところで事務作業に取り掛かった。すると山岡さんは店の中に戻り、レッドホットチリペッパーズのバイザウェイを爆音で流し始めた。

 

「山さん、生意気言ってすみません。それちょっと欲しがりすぎですわ。CD良かったろ?って普通に聞いてくれればいいじゃないですか」

 

「え?あ、佐藤くんてレッチリ好きなんだっけ?俺は聞きたいからかけただけなんだけどなぁ。やっぱ朝はレッチリでしょ。」

 

こじらせた承認欲求と仕事のデキの悪さを除けば山岡さんは僕にとってパーフェクトなお兄さんだったが、未知の音楽を教えてくれた感謝から僕はこう切り出した。

 

「レッドホットチリペッパーズってレッチリって略すんですね。メチャクチャ良かったです!特にあの1曲目のギター痺れましたよ」

 

そこから山岡さんは、上機嫌で僕が好きだと言ったジョン・フルシアンテのギターについて語った。ジョンが右足でリズムを取りながら弾いている様子をマネ、ストラトのギターとマーシャルのアンプの組み合わせがどうのこうのと次から次へとうんちくが飛び出した。僕は話のほとんどを理解することができなかったが、楽しそうな山岡さんの話を遮るのは気が引けて、ほぼオウム返しで会話をやりくりした。

 

以降、山岡さんとのCDラリーは約1年続いた。そこで知り得た音楽たちは無気力だった僕の生活を確実に彩り、僕の実家に入り浸るようになった裕子からは「変わったね〜、明るくなった!」と言われる機会が増えた。

 

CDの感想は直接話して盛り上がりたかったが、山岡さんとシフトが重ならない日はメールでやり取り。1年経っても仕事をロクに覚えられない不器用な山岡さんは周りからバカ呼ばわりされるまでになっていたが、僕にとって彼は太陽そのものだった。

 

ある日、借りていたランシドのCDについて一刻も早く山岡さんと話をしたくて彼が出勤してくる時間を見計らい僕は店の前で到着を待った。店から一直線に伸びる上り坂の頂上から上京以来久しく使っていないだろうベースの頭が出た辺りで、僕は大きく手を振り「山さん、早く!遅刻するよ!」と叫んだ。

 

一直線の道に加えて名前を呼んでいるにも関わらず、いつも店の10m手前まで気づかないフリを決め込む山岡さんは、その日3m前まで白々しい演技を続けた。「おお、気づかなかったわ」と小走りで僕の前に来た様子は、どこか緊張感を帯びていて「あれ?もしかして辞める系か」と僕を不安にさせた。

 

僕が店の中に入ろうとすると山岡さんは話があると僕を引き止め、俯き気味でこう言った。

 

「佐藤ぐん、俺とバンドやらねが?ギターボーカルが見づがっであとドラムだげなんだ」緊張すると故郷の訛りが出る山岡さんの様子は真剣そのものだった。上京して1年が経ちライブどころかバンドすら組めていない状況に焦っていたのかもしれない。

 

「え?何言ってんですか。やらないですよ」僕は話が退職の申し出ではないことに安心して構わず即答した。

 

YESの返事を期待していたであろう山岡さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして弱気な声で言った「なんでぇ?」。その問いに僕はそもそもバンドをやろうと考えたことも無く、ドラムという全く経験のない楽器にはなおさら興味がないと答えた。

 

すると山岡さんは言った。「興味ねぇごとやるがら面白くなるんだろうがよ、佐藤くんだってレッチリ知らながったけど聞いでみたら良がったでしょう?大丈夫、ドラムは俺が教えでやるから」

 

興味のない仕事を放り出して上京してきた山岡さんの言うことではないと思ったが、レッチリの話は的を射ていた。僕は数日考え抜いた末、ちゃんと教えてくれるのならという条件付きでドラムとして山岡さんのバンドに入ることを決めた。その意を山岡さんに伝えると、彼はこの上ないしたり顔で頬の緩みを抑えようと意味も無く口を膨らませた。僕はその様に腹が立った。

 

こうして僕は紹介伝いでしか成り得ないバンドのドラマーという初級ライセンスを取得して、フリーター界のキャリアアップに成功した。

 

続く

 

3回目はこちら↓

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