世捨て人の暮らしぶり

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立派なフリーターになれるまで

春の穏やかな朝日に舌を打ち目覚めたのは午前7時。僕は鏡を見ずともわかるしかめっ面で適当に身支度を済ませ、彼女から入学祝いとして買ってもらった水色のリュックを背負って家を出た。

 

原付にまたがり、枯れ落ちた桜を巻き上げ中央線の阿佐ヶ谷へ。そこから電車に乗り換え立川、さらにモノレールで山奥へと進む。仕上げは学習意欲をそぎ取るのに十分な山道を20分ほど歩く。汗が吹き出した頃大学に着いた。

 

「やりたいことがないのだから自動的にフリーターですわな」と高校の進路相談で教師のため息を煽っていた僕が大学進学を決めたのは、学校をサボろうとも文句一つ言ったことのないほど寛大だった両親の意外な一言だ。

 

「やることがないなら大学に行け!」と動物的とも言える力強い目つきで言い放ったその様から、僕は自らが危機的状況にあるのではとはじめて疑いを持ったのだ。

 

家の本棚に「どうしたら子どもはやる気になるのか」「無気力な子どもの接し方」といった教育関連の書籍が増えていることに違和感はあったが、僕は「アレは弟のことだ」と見て見ぬふりをしていた。

 

将来の夢はおろか魅力に思える職業すらない。それを理由に学校にはほどんど行かなかった。高校時代の成績は学年最下位から2番目。悪事に手を染める度胸はないが夜遊びから帰っては昼まで眠り、モソモソと冷蔵庫を漁ってはまたフラフラと出かける。親はそれを自堕落と呼んだ。

 

僕は「脳のGOサインに従って生きることを自堕落というのなら何に従うべきか教えてくれ」などと安い屁理屈で最大限の抵抗を見せた。しかし、親を説得するほどの目標や夢といった希望的観測は持ち合わせていなかった。

 

これ以上借りる先がないくらいに借金まみれだった親に、高級車1台分の授業料を上乗せすることに抵抗はあったが、その剣幕に押される格好で僕は渋々大学進学を受け入れた。

 

経済学部に進んだのは友人から「名前が書ければ入れるよ」と聞いたからであって、特段興味があったわけではない。

 

入学早々、参考書として買わされた経済学の父アダム・スミスの「国富論」は、時給戦士しか経験のない18歳の僕にとって暴力以外の何ものでもなく、1ページ目の文脈から勝手に想像した髭紳士アダム・スミスは「ここは君の来る場所ではない」と言わんばかりのいぶかしげな顔で僕を見ていた。

 

人が持つ集中力の持続可能時間ギリギリにあたる90分の講義は退屈を極めた。当然ながら講義の内容に興味は持てず、社会に出て役立つことは何一つないように思えるからなおさらだ。

 

いつしか僕は「今日の内容、非常に興味深いですね」とわかってる風の顔を作って教授に媚びを売りながら、その場に居る可愛らしい女の子との出会いから結婚、老後までの脳内シミュレーションをたしなむことが日課になった。

 

それに飽きたら僕より2つ年上でチワワ似の彼女、裕子を影武者として帯同させた。高校を卒業してすぐに地元のキャバクラで働きはじめた裕子は、黒目の大きさが浜崎あゆみにそっくりな少し天然の入った女の子だ。裕子は「え〜、キャンパスライフなんて最高じゃん!」と喜んで影武者を買って出てくれた。

 

裕子は大学へ行く日になると憧れのキャンパスライフを楽しむかのようにセレブ女子大生が好みそうな襟のキリッとした白いブラウスを着て淡い色のカーディガンを羽織る。しかし、僕はその安易な浮かれ具合が癪にさわったので、昼飯はミートソースもしくはカレーうどんを強引に食べさせた。

 

講義は二人で出て僕は寝る、裕子はノートを取って出欠表に名前を記入するという役割分担で攻めた。しかし、いつしか僕は「デート代を稼ぎたいんだ」という都合の良い大義名分の作り、裕子を教室に残して野猿街道沿いのパチンコ屋に入り浸るようになった。

 

それから僕は毎日朝から晩まパチンコを打ち、勝てば近くのホテルに泊まって影武者の裕子とともに翌日の講義とパチンコのイベントに備えた。さらに熱いイベントがある日は白ブラウスを着た裕子と一緒に朝からパチンコ屋に並び、目をつけておいた台で朝から晩まで粘り倒した。

 

パチンコを打っている自分は客観的な視点でどのように描写してもカッコ良いと言える姿になかったが、大当たりを迎えると脳の奥底からゴポゴポと流れ出す分泌液を感じ、顔が紅潮する頃にはこの上ない幸福感に包まれていた。

 

その時だけは世の中のすべてに感謝することができたし明日からの大学生活、裕子との将来など、あるはずのない輝かしい未来への計画を上手に立てることができた。

 

しかしその後半年が経ち親への罪悪感も感じなくなっていた頃、文字どおり自堕落なその生活は終わりを告げた。裕子が僕の両親に状況を密告していたのだ。パチンコ屋に父親がやってきた時は視界がスローモーションに切り替わり、この世の終わりを感じた。

 

車で家に帰る道中、僕は泣きながら「大学は辞めさせてください」と助手席から父親に頭を下げた。父親は黙って頷いた。少しの沈黙の後、裕子はあっけらかんとした声で言った「とりあえず帰ったらバイトでも一緒に探すかね!」。僕は眉間にシワが寄らないように細心の注意を払いながら「ありがとう」の一言を絞り出すのに精一杯だった。

 

続く

 

次回:フリーターの進化系はバンドマン

 

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