世捨て人の暮らしぶり

自営業でコピーライターやってるよ。東京と神奈川と静岡に住んでるよ。ドラムを叩くよ。面白そうな書き仕事なら世界中どこでも行くよ。Twitterは(@mush_me)、Instagramは(chappy__0927)、その他の連絡は→shotasato4@gmail.com だ!

文章を書いて暮らすに至った最初のきっかけをアレしてみるか

f:id:molting:20170521162424j:plain

 

2017年6月1日木曜日、午後15時17分

 

鶴見の自宅にて。

今日は友達と新宿で飲むから書き仕事は早めに切り上げることにする。

 

最近このブログを立ち上げてみたんだが忙しくて書けず。出かけるまでに時間があるので、ニーズがあるかはさておき、遅ればせながら自己紹介などしてみようと思う。

 

僕の名前はサトウ ショウタ。奄美大島生まれのほぼ東京育ち。バンドやったり会社員やったり起業したりと職歴は人様に誇れるものではないが、今はフリーランスでコピーライターをしている。というと何だかスカした感じがするので、略してフリーターということにしておこう。

 

平たくいえば文章を書いて暮らしている。具体的にはWebや紙媒体で記事を書かせてもらったり、中吊り広告やイベントのキャッチコピーなども作らせてもらってる。あとはWeb広告とかソーシャルメディア運用なんかもやるけど、やっぱり書き仕事が一番好きなので最近は書き仕事以外は請けないようにしている。

 

ありがたいことに向こう1年くらいは仕事をパンパンにいただいているので、食うことに困ってはいない。でも面白い書き仕事なら無理してでもやりたいとは思っている今日この頃だ。

 

「仕事どこから来るの?」仕事の話をすると9割の人にこう聞かれる。これにはかくかくしかじか裏技的なのがあったりなかったりするので、ニーズがあれば別の機会に書こうと思う。でもライバルが増えるからやっぱやめよ。

 

話が反れたので戻す。

 

今日は文章を書いて暮らすに至った最初のきっかけについてだ。これはフリーランスで文章書いて暮らすという不思議な仕事をしていると結構聞かれることだ。そんな深めの話に興味ないと思うかもしれないが、僕が話したいだけなので興味があれば見ていって欲しい。

 

村上春樹さんが大好きです!自分の感性で人を動かす仕事がしたい!あのコピーに心打たれて!文章を書いて暮らす人にはこの仕事を生業とするに至ったきっかけみたいなものがあると思う。それが僕の場合は若干暗め。あえて言うなら、劣等感だ。

 

小学校4年生の頃、僕は担任の佐々木先生にイジメられていた。佐々木先生は美術の先生でキンキンに尖った美意識を持ち、自分の価値観にそぐわない者には子どもだろうと容赦なく排他的な態度を取る還暦間近の女教師。容姿は痩せて鼻の尖った魔女(ねるねるねーるね)そのものだ。

 

出会い頭の舌打ち、机の中身をブチ撒けられる、絵の具箱はピンヒールで踏みつけられて大破、時には黒板消しで頭を叩かれて髪がパサパサになるので、親に心配かけないように水道と石鹸で髪を洗い、乾かすために遠回りして帰った。

 

僕は太っていて鈍臭く美的センスが皆無に等しい劣等生の見本みたいな子どもだったから、他の子よりも当たりがキツかった。そして、行為がエスカレートするに連れて学校に行くことが怖くなっていた。

 

そんな折、作文コンクールがあった。僕は特段文章が上手いわけではなかったが人より書くのだけは早かった。原稿用紙2枚程度だったら15分ほどでスラスラ書けたのだ。はっきり言って得意なことはこれくらいしかなかった。

 

算数は毎回50点以下だったかな。理科と社会は何の話をしているのか意味不明。体育は運動神経が未接続なのか何をやってもドベ。授業参観の国語の授業では珍回答連発で保護者たちの爆笑をかっさらった。

 

ただ、作文だけは得意だった。だから僕は思った「ドベの僕がここで賞取れば佐々木先生黙るんじゃね?」千載一遇のチャンスに賭けることにした。

 

作文のテーマは「将来の夢」。これは素直に夢を語るのではなく、先生たちが喜びそうなことを書けば良いんだろうと考えた。そして僕が選んだ夢は「宇宙飛行士」。本音を言えばもちのろんで嘘九百だ。(ちなみに当時の夢はコンビニ店員)

 

しかし、当時1992年は日本人二人目の宇宙飛行士、毛利衛さんがスペースシャトルエンデバーに搭乗し世間が湧いていた年。「これだ!」と脳内に稲妻が走った。

 

これが初めての創作的体験だったかもしれない。あ〜だこ〜だと嘘九百の筆はグングン進んだ。アドレナリン的なものが出て気持ちよくなっていたのだろう、気づいたら授業は終わっていた。

 

とはいえコンクールの発表までには時間がかかる。興奮も覚め佐々木先生にイジメられる日常にもまた慣れてきた頃、ある日の学活。佐々木先生は満面の笑みでこう言った。

 

「あのサトウくんがなんと、作文コンクールで大賞を取りました」

 

「あの」が気になったが、嬉しかった。勉強・運動と何をやっても最下位の僕がはじめて大勢の前で褒められた日だった。帰っておかんと「アウアウ」しか言えない1歳の弟に自慢した。そして以降、佐々木先生からイジメられることはなくなった。

 

しかし、僕が作文コンクールを受賞したのはその一回だけ。以降20年。ある案件のキャッチコピー大賞を取るまで文章を評価されたことはない。

 

「文章で食ってる今でも僕上手いです!」とは思ってないし、学がある人が見たら文法的にはよくないんだろうと思う。それでも僕は僕にしか見れない角度、伝え方で人を喜ばせられるんじゃないかという都合の良い解釈でこの仕事を続けさせてもらっている。

 

佐々木先生の一件は、僕が文章で人を喜ばせられるのかと知った最初の出来事。いわば最初のお客さんみたいなものなのかもしれない。佐々木先生、色んな意味でありがとうございました。宇宙飛行士にはなれませんでしたが、好きなことを仕事にさせてもらってます。あと僕の名前ショウタは章太と書くんだけど、これまた両親にも感謝なのかな。偶然な気がするけど。

 

そんな僕はその後スラムダンクに憧れてサッカー部に入部。はじめの一歩に憧れながらマクドナルドでアルバイトに精を出し、パチスロ中毒を経て売れないバンドマンへ。その後の紆余曲折から現在までもネタになりそうなので、改めて書いてみたいと思う。興味があれば見てって欲しい。

 

P.S 僕の仕事はコピーライター。メインはキャッチコピーと取材記事作成。あとは勝手に注文してくれりゃ、面白ければ何でも書くよっていうのがうちの営業方針さ。「客が来るか」って?それが結構来るんだよ。

 

Twitterをはじめたのでフォローしてくれるといとおかし

サトウショウタ (@mush__me) | Twitter

 

Instagramもやってますが写真好きな人ではありません

サトウショウタさん(@chappy__0927) • Instagram写真と動画